なにもかも私はカタチから入るほうなので
今回ももれなく、筆・墨汁・黒下敷き・文鎮・半紙を揃え、墨で字を書くことを始めた。
と言っても、目的は、字を書くことではない。
部屋の音をすべて消し、正座をして姿勢を正し、心の芯とカラダの芯を合わせて
「静」の時間を持つことだ。
乱れていると自覚していれば、穏やかな精神に戻す必要がある。
だから、向かうものは何でもいいと思ったけれど
書道と言えるものではないが、これには入り易さがあった。
書く字は、好きなアーティストの歌詞でもいいと思ったくらいの気構えだったが
まずは、新聞で目に止まり切り抜いておいた、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にした。
その詩は有名ではあるが、興味を持ち全文をまじまじと読んだことはこれまでなかった。
若い頃に比べると、心に止まるものゾーンが、それなりに広がったらしかった。
そう感じることにたびたび出くわすと、なんだか自分が随分と、ましになった気がした。
これまで信じるものといえば、ご先祖様への感謝の気持ちほどで
特になにかを心の拠り所して信じたことも、そうしようと思ったことも無いし
がんになってしまった今でさえ、特に必要と感じてないほど、信仰心が薄い私だが、
入院中、般若心経についての本を読む機会があった。
これまで読んだことのないジャンルの本だったが、意外とおもしろく
今日、頂いた「般若心経絵本」もすぐに読んでしまった。(Yさん、YUKIさんありがとう!)
「この宇宙は、その中のすべてのものがバラバラに分かれて存在しながら、
同時に深い所でつながって、ひとつの大きな生命の大海を形づくっているという
ふしぎなあり方で存在している」
というような一節は、ハッとしたり、なるほどねと、以前よりずっと素直に
スゥっと心に響くのである。
これも今の私だからか。病になって気付くことは、あまりに多い。
ここ数週間は、声も出ず、人に会うのもおっくうで、何事も面倒だった。
そうすると、どんどん気持ちもすさんでく。急降下。まっさかさま。
やっと声が出るようになって、言葉に助けられ、人と繋がれて笑い、
話しを聞いてもらうことで毒抜きをして、私はまた、こうして上がれた。
危ない。危ない。くさる寸前だった。
ダークでネガティブな部分に、飲まれそうだった。
リセット。いったんここでリセット。
今日は、そんないい一日だった。
ありがとう。